座間味より東北復興祈ってます。

東北の浜の女性たちが立ち上がりました。

 続いて見つけた復興へむけたプロジェクトは、「三陸に仕事を!プロジェクト」。

 岩手県三陸町越喜来(おきらい)のグループや、釜石市の被災者の女性たちが中心となって作り始めたのが、「浜のミサンガ環(たまき)」です。漁に使う網を、女性たちが手作りでミサンガに仕立てているのです。そのCMがこちら。

 復興への願い込めて、一つ一つ手作り。ミサンガの販売代金1,100円(1セット・税込)のうち、材料費や販売経費、諸経費を除いた、1セットあたり約570円以上(現状の試算です)が彼女たちの工賃になります。また、制作する女性たちに材料を届けたり、製作の指導をする、地元の方々にも、 1セット当たり80円以上が支払われます。

 東北の人々は、立ち上がっています。

がんばってください!!

ミサンガ 東北 座間味

— posted by zamami at 09:41 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

座間味島の歴史

座間味島に人が住み始めたのは、縄文時代前期からといわれ、 古座間味貝塚から出土した、住居形態や数々の土器、貝製品、石器等がそれを証明しています。 琉球王国時代には、中国との進貢貿易の唐船航海路上の避難港として、風待ちの港として、阿佐地区の阿護の浦は、重要な役割を果たしてきました。 いまでも残る阿護の浦北には、唐船グムイと呼ばれる唐船が繋留した深みがあります。 また、座間味の人は海事に優れ、多くの人が船乗りとして活躍したそうです。 その後、明治後半からは、 鰹業が盛んになり「ケラマ鰹節」は、 県内外にも名を馳せ、村は繁栄しました。昭和初期、遠く南洋群島へ出稼ぎに行く人が増え出します。 大正から戦前までは、鉱山の島として、 銅鉱の採掘が現在無人島の屋嘉比島、 久場島で盛んになり、 生産量は、県の99パ-セントを占めるまでにもなりました、 本土からの出稼ぎの人が多く数百人の人が住んでいたと聞きました。 その後第二次世界大戦勃発。 昭和20年3月26日 「米軍初の上陸第一歩之地」として、この美しい海が水陸両用戦車で埋め尽くされました。空には戦闘機が飛び交い、家や山々は燃え、 逃げ惑う人々、息を呑み震え隠れる人々、その中で、親が子を、子が親を、夫が妻を、兄弟同士が殺し合うという、そんな暗闇での悲惨な出来事が起こりました。座間味部落の中だけでも、150人近い住民が尊い命を失ったのです。 平和の尊さを、この島の人々は、静かに訴えています。語るには余りにも悲しすぎる出来事を、皆多くを語る事はありません。 その他にも毎年6月23日「沖縄県の慰霊の日」に,座間味の子供たちへ、自らの体験や聞いた話を、 小本にして贈って下さいる方もいらっしゃいます。 今は、観光地として、美しい海、ダイビングの島としてある座間味島に、こんな歴史がある事を知ってもらいたいものです。

座間味 座間味村 慶良間 座間味島

— posted by zamami at 08:34 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

座間味・慶良間周辺の釣りポイント

fishingmap

1.名瀬ガーラ、トカキン、カチュー、ミーバイ、イラブチャー、シチューなどが狙える夏のポイント。 ぶっこみ、フカセ、ウキ釣りで。

2.男岩グルクン、アカジン、トカキン、ガーラ、トカジャーなど4月~11月にかけて釣れる。この岩の周辺は沖釣りのポイントにもなっている。

3.ニタ浜夏にガーラ、タマン、ミミジャー、トカジャー、アカジンなどが狙える。ウキで狙うと高確率で釣れる。

4.赤崎の鼻夏にガーラ、アカジン、タマン、カチュー、トカジャーなど。ウキ狙いでトカキン、ガーラ、カマサーが釣れる。夜釣りも多いが、転落に注意して。

5.稲崎の崎タマン、ミーバイ、ガーラ、アカジン、シジャー、カチューなど。4月~9月。ミーバイやガーラの10kgクラスが釣れることも。

6.女瀬ノ崎夏にタマン、ミーバイ、ガーラ、カチューなどが釣れる。夜釣りにもいい。

7.座間味港クワガナー、ジューマー、カタカシ、ボラなど小物釣りのポイント。一年中楽しめる。ウキ釣りでのんびりと。

8.伊釈加釈島夏にタマン、ミーバイ、ガーラ、エーグヮー、チヌマン、アカイユなど。大物より中物、小物狙い。夜はコマセ仕掛けでたくさん釣れる。

9.端崎タマン、ミーバイ、クチナジ、シルイチャーなどが4月~10月にかけて釣れる。 大型ウキでタマン狙いやフカセ釣りもいい。

10.阿嘉漁港夏にタマン、ガーラ、クワガナー、シルイチャーなど。昼は小物で、夜にガーラやタマンが釣れる。ファミリーでウキ釣りを楽しんでも。

11.佐久原ノ鼻タマン、ミーバイ、ガーラ、シチュー、トカジャーなど。 夏。コマセを充分にきかせると、タマン、ミミジャーなど中物釣りに退屈しない。

12.奥武島4月~10月にかけてガーラ、ミーバイ、アカジン、タマン、シチューなどが釣れる。 座間味村No1のポイントかも。カジキも周辺でうろつき、沖釣りにもいい。

12.久場島ガーラ、ミーバイ、タマン、シチュー、グルクン、イラブチャーなどが夏に釣れる。ぶっこみ、 ウキ釣りで中 物、小物釣りに最適。夜釣りもいい。

13.久場島嘉喜瀬アーラミーバイ、ガーラ、タマン、トカキン、シチューなど。4月~10月。 50kgのミーバイを釣り上げた実績も。釣り人が多いポイント。

14.久場島紺瀬ノ鼻夏と冬、タマン、ミーバイ、ガーラ、トカキンなどぶっこみ、フカセ、ウキ釣りで。10~20kgクラスが上がる。 15.久場島廻鼻タマン、ミーバイ、シジャーが夏に釣れる。ウキ狙いでタマンやトカキンを。夜釣りが中心。

座間味村役場ホームページより転記

慶良間・座間味の釣りポイントは座間味ツアーオペレーションにお任せください。

座間味 船釣り ミーバイ 釣り ガーラ 慶良間 タマン

— posted by zamami at 11:51 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

慶良間諸島 座間味ツアーオペレーション

慶良間諸島(けらましょとう)は、沖縄県那覇市(沖縄本島南部)の西方約40kmの東シナ海上に点在する大小20余りの島からなる島嶼群である。

概要 行政上は渡嘉敷島を中心とする渡嘉敷村と座間味島を中心とする座間味村の2村に分かれています。

渡嘉敷島西部の海域120haと、座間味島と阿嘉島の間の無人島を含む海域233haが、慶良間諸島海域という名称で2005年(平成17年)11月、ラムサール条約登録地となりました。

世界でも有数の透明度を誇る海は、ダイビングやホエールウォッチングのポイントとして人気が高い。また、ケラマジカは慶良間諸島に固有のシカであり、ここにしか生息していません。

沖縄本島には’キラマー ミーユシガ マチゲー ミーラン’(慶良間は見えるがまつ毛は見えない。遠くは見えても自分の近くは見えない、灯台下暗しの意)という諺がある。

島 各村に含まれる島は下記のとおりである。この中で有人島は渡嘉敷島(とかしきじま)、座間味島(ざまみしま)、阿嘉島(あかしま)、慶留間島(げるまじま)の4島のみです。

渡嘉敷村 渡嘉敷島(とかしきじま)城島儀志布島地自津留島外自津留島離島 シブがき隊の銅像があり、シブがき島とも呼ばれている。ウン島(うんじま)黒島(くろしま)前島(まえじま)中島(なかじま)ハテ島(はてじま)慶伊瀬島(ナガンヌ島、神山島、クエフ島) 別名、チービシ環礁。 座間味村 座間味島(ざまみじま)安室島(あむろじま)安慶名敷島(あげなしくじま)嘉比島(がひじま)伊釈迦釈島(いじゃかじゃじま)阿嘉島(あかじま)砂白島積城島慶留間島(げるまじま)外地島(ふかじじま) 慶良間空港がある島モカラク島(もからくじま)奥武島(おうじま)屋嘉比島(やかびじま)久場島(くばじま) ビーチ 阿波連ビーチ(渡嘉敷島)渡嘉志久ビーチ(渡嘉敷島)阿真ビーチ(座間味島)古座間味ビーチ(座間味島)北浜ビーチ(阿嘉島)

ぜひ、お越しください。座間味ツアーオペレーションLink

座間味 慶留間島 阿嘉島 渡嘉敷 座間味ツアーオペレーション 古座間味ビーチ 座間味島

— posted by zamami at 07:40 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

サバニ 開催地 座間味

サバニとは・・・

サバニは、琉球列島の漁業従事者に古くから使われていた漁船の名称である。推進方法はエークと呼ばれる櫂、四角帆、エンジンの3種類であるが、近年はエンジン推進が主流である。独特な形状をもつエークは漕ぐだけでなく帆走時には舵としても使われる。戦後のエンジンの普及で、伝統的なサバニの帆漕技術は急激に失われつつある。

歴史 従来、サバニは漁で使われるだけでなく、日常の荷物運搬等に欠かせない生活の足でもあった。 近年では日露戦争時に敵バルチック艦隊の船影を認めた5人の漁師が、宮古島から通信設備を備えた石垣島までをサバニで漕破し、その存在を伝えたとされる久松五勇士の活躍が有名である。

造船技術 サバニの船形や造船技術に関する考察は白石勝彦の『沖縄の舟サバニ』(1985年、白石勝彦住空間設計室刊)に詳しい。サバニがハギ舟となったのは明治以降のことであるが、他の多くの和船と同くサバニもまたハギ舟となった後も刳り船の性格を残している。その細長い船体形状は船速の向上を実現しながらも横揺れに強い性質を併せ持たせている。一方で非常に安定性を欠く船でもあり、簡単に転覆する。

また荒天の際に船を半沈させて嵐をやり過ごし、その後再び船を起こして内部の水を掻き出すといった使用法を考慮した構造を持つ。船底は礁湖内の航行も考慮した平坦な形状である。エークには、海水の比重に適合し且つ適度な強度を併せ持つモッコクが使われる。

沖縄島に近接する慶良間列島ではかつて双胴船が存在したと言う記録があるが、一般的には単胴船であり、かつアウトリガーを持たない。ただ、臨時に複数のサバニをつなぎ合わせて重量物を輸送するといった使い方は珍しく無かったとされている(出口晶子『丸木舟』)。

帆桟(フーザン)と呼ばれる帆の形状を調節するバテンをもつ。マストの位置も微調整が効く構造となっている。

木造サバニの場合、船体の耐食性を高める為にサメの肝油を船体に塗ることもあったとされる。また帆を豚の血液で染めて風を受け止める能力を上げていたとも言われる。

現代のサバニ 現代のサバニはFRPの船体にエンジン装備という仕様が主流である。木造サバニや帆走サバニは殆ど残っていない。

一方、サバニの帆漕技術を継承する目的で、2000年の九州・沖縄サミットを記念して開催された「サバニ帆漕レース」は、その後も毎年梅雨明けの6月末から7月初めの日曜日に座間味島から那覇の間で行なわれており、県内外から年々その参加者を増やしている。

海人丸2006年、荒木汰久治らによる双胴の帆走サバニ「海人丸」が糸満から三河湾までを航海した。このアイデアはハワイの航海カヌー「ホクレア」の船長の一人であるブルース・ブランケンフェルドに示唆されたものであるとされる。

サバニの伝播 サバニは糸満の漁師の奄美大島近海での操業によって、奄美大島にも伝わった。奄美大島ではサバニの漁船としての優れた船形と,従来の木造船「イタツケ」の造船技術を取り入れ、凌波性と経済性にすぐれた「アイノコ」が考案された。

上記ウィキペディア転記

サバニ帆漕レース実行委員会公式ホームページ。沖縄サミットの2000年から始めて12回目。実行委員会公式認定ホームページ。第12回大会は6月25日、26日開催。

上記の通り、座間味にて開催。

座間味 サバニ 沖縄 伝統文化 座間味島

— posted by zamami at 01:42 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

T: Y: ALL: Online:
ThemeSwitch
  • Basic
Created in 0.2011 sec.
prev
2025.8
next
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31